史料番号⑥ 海幸橋ヒンジ

わが国初のランガー橋

 関東大震災後の復興事業で1927年(昭和2年)、東京市によって架設された海幸橋は、わが国初のランガー橋として築地魚市場の入口に架設された。支間26.2m,幅員15.0m(車道9.0m+歩道2@3.0m)であった。ランガー橋というのは、橋の主構造は桁橋で、アーチ部は補強材になっている。これに対し、タイド・アーチ橋という橋のタイプがあるが、これは主構造がアーチである。それゆえ二つの橋の見た目の違いは、主構造の太さにあり、タイド・アーチ橋はアーチ部は太いのに対し、ランガー橋は桁部分が太い。隅田川にかかる永代橋は、タイド・アーチ橋の典型である。ランガー橋は、ランガー・アーチ橋またはランガー桁とよばれることもある。

 ランガー橋の接合部はふつうアーチと桁との接合部にあるのだが、海幸橋では桁の上に接合部のヒンジがある。このタイプは、江東区の白妙橋(昭和12年)以外類例がなく、先のわが国初のランガー橋とあいまって、わが国近代橋梁史上、貴重な橋であると評価されていた。

海幸橋の美

 海幸橋は、小さな橋だったが、デザイン的な配慮が行き届いた美しい橋であった。ふつうのランガー橋と比べると、側面景が非常にきれいだった。なぜか。ランガー・アーチ橋といいながら、ほとんどの橋はアーチ部が折れ線状のものが多い。ところが海幸橋は、アーチ部がなめらかな曲線を描いているのである。ランガー・アーチ橋のアーチ部が折れ線になるのは、力学的な理由にある。それはアーチ部材と垂直部材には、軸力しか作用しないという前提で計算されているので、部材はまっすぐでよいことになる。この方が、施工もしやすい。ところが海幸橋では、アーチ部を曲線に仕上げているのである。これが、美の大きな根拠になっている。今と違い、高度な技術がなかった時代、よくぞここまで手のかかる仕事をこなしたと思う。橋をつくる意気込みが感じられた橋であった。

 親柱の配置とデザインにも工夫が感じられた。まず親柱が、点対称に配置されていることにある。橋の親柱はふつう、手前に2本,向こう側に2本と合計4本ある。海幸橋の場合、親柱は4本あるが、向かって左側に鋳鉄製の大きな親柱、右側に御影石の背の低い親柱が配置され、点対称になっているのだ。しかも鋳鉄製の親柱の柱部分は平面的には十字形で、突出部が正面に位置するように配置されている。御影石の親柱は角が面取りされ、その面が正面になるように配置されている。これは、鋳鉄製の親柱との配置関係を考えて、配置されたことがうかがえる。

 鋳鉄製親柱のデザインにも特徴がある。親柱は、様式的にはわが国ではめずらしいアムステルダム派のデザインをいわれる。震災復興当時のデザインの潮流のひとつとして知られるが、日本での事例は少ない。この意味でも貴重な橋であった。

船橋キャンパスでの部分保存

 平成10年、旧築地川東支川の埋立に伴い、海幸橋の撤去を察知した土木学会は、土木史委員会の名で、橋の管理者である東京都中央区に海幸橋の保存の要望書を提出した。しかし、平成14年3月、橋は撤去された。様式的に価値ある親柱は現地に保存されたが、メインの橋の保存は図られなかった。それでも土木学会から保存の要望書が出されたことで、親柱の現地保存が図られたといわれる。

 平成14年12月、中央区および橋の撤去を行った横河ブリッジ(海幸橋の架設も行った)のご厚意で、橋のヒンジ部と部材(長さ約4m,幅約1m,高さ約1m,質量約5t)が船橋キャンパスに保存されることになった。部材は補修され、竣工当時の色に再塗装された。近代橋梁史上価値ある部材を、キャンパス内に設置することは、部材とはいえ立派な実物教材になるとともに、環境オブジェにもなっている。

 海幸橋は、4本の親柱は現地で、部材の一部は船橋キャンパスで保存されるという保存のあり方としても珍しい事例になっている。

 

 

 

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アムステルダム派様式の親柱実物は、

現地に保存されている

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キャンパスに展示されている

海幸橋のヒンジ部

 

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川面が見られたころの海幸橋

(右側の建物は波除神社)